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ー大堀相馬焼「京月窯」-15代目の流儀で伝統はしなやかに変化する

ー大堀相馬焼「京月窯」-15代目の流儀で伝統はしなやかに変化する

大堀相馬焼が誕生したのは江戸時代・元禄年間のこと。

相馬中村藩士の半谷休閑(はんがい きゅうかん)が、浪江町大堀で陶土を発見したのをルーツに、誕生から今日まで300年以上の伝統を誇り、昭和53年には通商産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。

元々は日用品として使う雑器が焼かれていたものの、中村藩が陶磁器を特産物として奨励したことで、江戸時代末には農家との兼業を合わせると100軒近い窯元が誕生。藩主相馬氏の家紋から意匠となった繋ぎ駒や走り駒の柄は縁起物として好まれ、献上品としての顔と大衆向けの民窯としての顔を持つ陶器となりました。

震災前に浪江町で活動していた窯元は、現在は避難先で次々と活動を再開。福島市飯坂町、果樹に色づいた鮮やかな新緑が眩しいフルーツラインの一角に構える京月窯もその一つ。

120年以上の古民家を改装したアトリエ兼自宅の佇まいと、玄関口を彩る鮮やかな花が、窯元という言葉から想起しがちな敷居の高さを下げ、まるで近所の友人宅に遊びに行くかのような気分にさせてくれます。

雑器だからこそ、使われることで命が宿る

広々とした吹き抜けの空間に並ぶ無数の作品。「青ひび」「二重焼(ふたえやき)」「走り駒」といった伝統的な大堀相馬焼が持つ特長を前提にすると、多彩な色合いや形状といった豊富なバリエーションに一種の驚きを覚えます。

現在、15代目として窯を守るのは近藤京子さん。「華道の雅号から取った」という京月の文字と、先代の窯名を冠した近徳京月窯の窯名で活動されています。

一人っ子だったこともあり若い頃から陶芸の道に進んだ京子さん。「父と共に作品を作っていた時代には、炊事などの家事と窯作業を両立していました」と、先代の背中から伝統を受け継いできました。

そんな京子さんが手がける作品のコンセプトは『暮らしに根付いた創作陶芸』。

確かに、棚に並ぶテーブルウェアは実際に食卓で使っているシーンが思い浮かびやすく、また、コーヒーカップがハート型になっていたりと、女性らしい遊び心が散りばめられたデザインの中に、生活者が求める機能が融合した作品が多いのが特長と言えます。

「元々、大堀相馬焼は雑器として生まれ使われてきたもの。美術品というよりは実際に使ってもらうことで命が宿ると考えています。私自身が女性の職人ということもあるのですが、男性にできないものをつくろうという感覚でやっています」

例えば、料理皿のように求められる機能はシンプルでも、陶芸家が作品をデザインすることで形や色には無限のバリエーションが生まれ、機械的に作られる作品を除けば、基本的に一つとして同じ作品が生まれることはありません。こうしたデザインの発想力の源がどこにあるのかを伺うと、

「生活の中で形の変化は生まれるものなんです。例えば『こんなランプシェードがあるといいだろうなぁ』と思いついたものを元にしたり」と生活者としての自分の中に源があるようです。

「今は家のサイズが昔ほど大きくないこともあって、小さいランプシェードのように使い勝手のいいものが売れているんです」と語る京子さんからは、使用感を大切にしていることが伝わってきます。

受け継がれてきた手仕事は、天平の甍色に色づく

ところで、京月窯の作品に多く見られたのが、青と緑色が融合した独特の発色。

「この色は独学で編み出したものなんです。昔、東京で研修した時に京都出身の陶芸の先生に『漠然とした色の名前じゃダメだ!』と言われ、緑青の吹いた屋根瓦の色に似ていることで『天平の甍色(てんぴょうのいらかいろ)』という名前をつけてもらいました」


元々、紫色が大好きだった京子さんの色に対する思いが込められたこのシリーズ。「焼き損じが大きい」こともあり完成までに特に集中力を要するとのことですが、これに限らず作品づくりの中で特に時間を要するのが色を決める釉薬の調合です。

「釉薬は自分で調合してます。震災前と今とでは材料が違うのが大きいですね。浪江で焼いていた時には青磁を出すために砥山石を砕いて作っていましたが、それに変わるものを選ぶ必要が生じてしまって、今では土灰や藁灰、珪石とか色々な組み合わせをしないと色が出ないんです」

作品の顔とも言える色へのこだわりが、大堀相馬焼の可能性を広げてくれると感じさせます。

無数の作品が産声を上げる工房の一角、そこでは職人さんがろくろを使い一つ一つの作品を練り上げていました。

「そもそも大堀相馬焼は機械練りしないんです。今も70代の職人さんと一緒に土を練り作っています。昔の職人さんは丁稚奉公によって技術を会得された苦労人ばかり。そうして培われてきた技術を大切にしています」

京子さん自身が土を練り上げてお皿やランプシェードを作ることがあれば、京子さんがデザインした作品を職人さんが作ることも。「少しのサイズ違いにも厳しいのが職人さん」という言葉が品質の高さを裏付けています。

成形した作品は陰干しや天日干しによる乾燥を経て、素焼きを施してから釉薬をかけます。下段に見える二重焼の急須のように、伝統技術の発展系アイテムも並びます。

現在、京月窯では電気窯とガス窯によって焼成。四隅にある丸く白い栓を抜いて窯の状態を確認します。

「浪江に工房を構えていたときは昔から登り窯で焼いていて、周りがこうした窯に変える中でも最後まで登り窯で作品作りをしていたんです。でも、火の番でつきっきりにならなくていいという環境は、昔に比べて作りやすいものになったと感じますね。

焼成にかける時間は焼き方や釉薬、窯の中に入れる作品のサイズや形によって変わりますが、「21時間以上は焼き上げて、火を止めたら2日かけて自然に温度を下げていく」とのこと。

焼き方の違いで色に差が出たり、逆に釉薬によって焼き方を変化させたり。1200度ほどに燃焼された窯の中で起こる変化を想像し、完成した作品の姿を思い描きつつ窯と向き合います。

窯出しの瞬間、青ひびの作品が奏でる「キーン」という澄み切った音色。職人技の証が工房に響き渡ります。

伝統をつなぐ橋渡し役として

「これ、震災から避難した時に持ってきた型で作ったものなんです」

京子さんが手に取った絵皿青ひびの入った一枚の小皿。そこには大堀相馬焼を象徴する繋ぎ駒がデザインされています。

震災後、避難先を変えながら窯の再開に向けて準備を開始。当初、先代の徳太郎さんやご家族は反対をされたそうですが、京子さんの熱い思いに全員が納得。2011年の12月に現在の場所で再開しました。

「以前、地元の方が大堀相馬焼を使ってくれない時代があったんです。そうした経験もあって、地元の方に日常的にお買い上げいただくことを大切にしていきたいですね」

震災の中で失われてしまったコミュニティがある中、京子さんが目指しているのは大堀相馬焼が暮らしを豊かにする生活の復興と、アトリエを中心とした新しいコミュニティを紡ぐことなのかもしれません。

  

「これからは若い職人さんの未来づくりにも協力したいですね。特に浪江町で工房を立ち上げるなら色々と力を貸すことができればと思います」

15代に渡る技術を伝承しながら、女性の視点でしなやかに変化する大堀相馬焼。皆様もアトリエに足を運んでみてはいかがでしょうか?

近徳 京月窯

福島県福島市飯坂町平野字道南4

TELFAX024-542-2818

kyogetu4230@beach.ocn.ne.jp

 

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