お土産

2021-03-08

二本松は第二の故郷

大堀相馬焼二本松工房からほど近くに住居を構え、今年で6年目。
周辺は山や田畑に囲まれとてものどかな場所で、ご自宅に向かう道はかつて多くの窯元が軒を連ねた浪江町大堀地区を思わせるような雰囲気である。
東日本大震災が起き全町避難となったとき、最初の避難は津島幼稚園だった。

「友人からその場所も危ないとの知らせを受けた直後、目の前を自衛隊の大群が走り去っていった。異様な光景だった。」と話す。

その後は叔父宅で一か月の避難生活を経て、茨城の甥っ子宅に移った。
転々としながらの避難生活を送る中で、大堀相馬焼協同組合再開の動きが始まり、20127月二本松市に新たな拠点として工房兼事務所がオープンした。

「二本松の方々には本当によくしてもらった。他の地域では避難者に対して冷たい態度をとられて苦しんでいる話も聞いたが、二本松ではそんな事はなかった。第二の故郷だ。」

大堀相馬焼二本松工房は、オープン時大変な賑わいをみせ、お土産や自宅用にと買い求めるお客さんが行列をなし、2019年に閉業するまで大堀相馬焼の歴史や伝統を守り続け、県内外からもたくさんの方が訪れ、大堀相馬焼の魅力を発信してきた施設である。

 

▲大堀相馬焼二本松工房に陳列された品々(2012年)

「国の伝統的工芸品として認められているからには、絶対になくしてはいけないという思いがあった。浪江ではない場所で作ったものを浪江町の特産品として維持するには、みんなが一体とならなければいけない。組合を失ってしまったら、全てがダメになってしまう…そんな思いだった。」

 

里づくり・人づくりの大堀地区

浪江町にある自宅は、現在も帰還困難区域に指定されているエリアである。

「大堀相馬焼を大切にしようと思えば、それはつまり浪江町を大切にしなければならないってことは誰でも分かるはずだ。」

浪江町には幕末の頃、120件余りの窯元があったという。
大堀地区にはトロッコ列車が走っていて、人が町内の往来に利用していたそうだ。

「庭で野菜を育て少しの米があれば、近くを流れる高瀬川から魚を釣って、山で猪を狩って食べる。焼き物と共に自然の恩恵を受ける生活が成り立っていた。」

▲ご愛用のお碗 高瀬川の砂を使っている

そうした中、町内のあちらこちらに大堀相馬焼の陶板を飾ろうという取り組みが始まった。
十二支を描いた12枚の陶板を作成し、戸上山へ続く山道に埋め込み、道行く人が楽しめるような仕掛けをした。
また、「大堀育(おおぼりそだ)て」という会を立ち上げ、月一回くらいで集会を開催。地区の花壇の整備や講師を招聘しスキルアップの研修会を開催するなど、美しい町づくり・人づくりを積極的に進めていた。

そんな矢先での震災であった。

 

改めて思う、大堀相馬焼休閑窯の魅力

大堀相馬焼には3つの独特の技法「青ひび」「走り駒」「二重焼」がある。
300年もの歴史の中で大切に守り抜かれた技法である。
しかし、時代の流れとともに人々の生活様式も変化し、大堀相馬焼も変化してきた。

「伝統を守りながら、新しいデザインにも取り組んでいる。この作品をぜひ見て欲しい。」

おもむろにテーブルに出された2枚の角皿は、一面に桜や走り駒が散りばめられ、度肝を抜く美しさだった。押し型の凹凸が、視覚だけでなく手触りも楽しませてくれる。

窯元らは毎年、春の新作を発表する。これまでの大堀相馬焼にはない斬新なデザインや色を使い幅広い年代やシーンで使えるようなものも多くなっている。

「でもやっぱり、震災を経験して、今改めて思うよ。伝統的な形が、やっぱりいいな。優しさが詰まってるもの。」

現在もそれぞれの避難先で営業が続く窯元たち。

「なみえの技・なりわい館のオープンで、浪江でまたみんなが集まって販売できるというのは、本当に嬉しい。みんなの心は一つだと思う。」

間もなくオープンを控える大堀相馬焼の工房・販売施設に期待をにじませた。

熱いお茶を冷めにくく、そして持っても熱くない二重焼の湯飲みは、長年親しまれている大堀相馬焼の代表作である。
浪江町民の「おもてなしの心」から生まれた作品を、ぜひ感じて欲しい。


《2021320日(土)オープン!!》
酒蔵と大堀相馬焼『なみえの技・なりわい館』
▶大堀相馬焼工房&ショップ
10001700 ※毎週水曜定休
※お問合せ:大堀相馬焼協同組合📞0240-35-4917
▶酒Bar&ショップ Sake Kura ゆい
10001800 ※毎月最終水曜定休
※お問合せ:道の駅なみえ📞0240-23-7121

道の駅なみえHP